『千と千尋の神隠し』に登場するカオナシ。
カオナシは、謎めいた存在感と行動から、多くの視聴者や評論家の間で議論の的となっています。
今回の記事では、カオナシとは何者?【正体=サタン?】千を欲しがる理由は?についてまとめました。
カオナシとは何者?
「千と千尋の神隠し」(2001年公開、監督:宮崎駿)は、スタジオジブリによるアニメーション映画で、日本国内外で高い評価を受けました。
その中で登場する「カオナシ」というキャラクターは、物語の中盤から重要な役割を果たし、独特な存在感を放っています。
カオナシはその名の通り、「顔がない」ように見える謎めいた存在で、黒い影のような身体と白い仮面を特徴としています。
作中でのカオナシは、明確な出自や名前を持たない「正体不明の存在」として描かれます。
その不気味さと同時に、どこか哀愁を帯びたキャラクターであり、多くの視聴者に深い印象を与えています。
カオナシのセリフまとめ!
カオナシのセリフは劇中であまり多くないようですが、以下のセリフが見つかりました。
「あ…あ…」
場面: 千尋が油屋で働き始めた初期、雨の夜に外で佇むカオナシが千尋に出会うシーン。
ちなみに、一番カオナシらしいシーンとして、様々な芸能人の方にモノマネされているのがこのシーンのようです。
このシーンでは、カオナシが千尋に興味を持ち、接触を試みる様子が描かれています。
「これ食うか?うまいぞ~。金を出そうか?千の他には出してやらないことにしたんだ。」
場面: 油屋でカオナシが金を使って他の従業員たちの関心を引く中、千尋に対しても同様に金や食べ物で誘惑しようとするシーン。
カオナシは、物質的なもので千尋の関心を引こうと試みます。
しかし、千尋はそれに惑わされず、カオナシの真意を見抜こうとします。
「千欲しい…千欲しい~。」
場面: カオナシが千尋に対して執着心を強め、彼女を求めるシーン。
このセリフは、カオナシの孤独や自己の存在意義を千尋に見出そうとする欲求を表しています。
「イヤだ…イヤだ…。寂しい…寂しい…。」
場面: 千尋がカオナシに対して家族や帰る場所について問いかけるシーン。
カオナシのこの言葉は、内面的な孤独を強調しているといえそうです。
「取れ。」
場面: カオナシが千尋に対して何かを差し出すシーン。
このセリフには、カオナシの不器用なコミュニケーションや、他者との関係を築こうとするような意図が読み取れます。
「ウッ!アッ…アアア…。」
場面: 千尋がカオナシに薬を飲ませ、彼が苦しむシーン。
カオナシの内なる混乱や苦悩を表現しているといえそうです。
「小娘が何を食わした…。」
場面: 千尋からもらった薬を飲んだ後、カオナシが苦しみながら発するセリフ。
カオナシが自分の行動や状態に疑問を抱く瞬間を示しています。
千尋の純粋な行動が、彼の内面的な変化を促すシーンです。
カオナシは、言葉数が少ないながらも、その存在感と行動で物語に深い影響を与えるキャラクターです。
カオナシのセリフや行動には、人間の孤独や欲望、アイデンティティの喪失といったテーマがちりばめられており、視聴者に多くの解釈や考察の余地を与えているといえそうです。
カオナシの正体=サタン?何を象徴してる?
カオナシは、その姿や行動、そして物語の中での役割から多くの観客や評論家によって深く考察されています。
カオナシはその謎めいた存在から、観る者に強い印象を与え、同時に多くのテーマを象徴しています。
カオナシは「千と千尋の神隠し」に登場する非常に象徴的なキャラクターで、名前の通り、カオナシには顔がなく、黒い影のような姿をしており、登場時からその正体は不明です。
カオナシは最初、千と偶然出会い、当初は千を困らせることもなく、静かに千の近くに佇んでいました。
しかし、金を撒き散らして他者を引き寄せたり、最終的には暴走します。
この暴走はカオナシの欲望や不安定な精神状態を象徴し、物語を通じてその変化を見守ることができます。
カオナシの正体=サタン説の根拠は?
カオナシは何者なのか?について、さまざまな解釈や考察がなされていますが、その中でも、「カオナシの正体はサタン(悪魔)ではないか」という説があります。
カオナシ=サタン説の主な根拠についてまとめました。
電車のシーンでの「サタン」の文字が映る!
千がカオナシとともに電車に乗り、「沼の底駅」へ向かうシーンで、窓の外に一瞬「サタン」という文字が映ると指摘されています。
この描写から、カオナシがサタンを象徴しているのではないかという説が生まれました。
カオナシの行動とサタンの誘惑
カオナシは、油屋で金を使って従業員たちを誘惑し、従業員の欲望を引き出すような行動を取ります。
これは、キリスト教においてサタンが人々を誘惑する姿と重ね合わせることができるといえそうです。
悪魔の数字の6が関係している!
千たちが降りる「沼の底駅」は、電車で6つ目の駅とされています。
数字の「6」は、キリスト教で悪魔を連想させる(666)と関連が近いことから、この点もカオナシ=サタン説の根拠とされています。
と、なんだか「カオナシの正体=サタン説」の信憑性が高そうな気もしますが・・・
カオナシは何を象徴してる?
カオナシの正体については、やはり、宮崎駿監督の意見が正解に近そうです。
宮崎駿監督は、カオナシというキャラクターについて、非常に興味深い意見を持っています。
宮崎駿監督は、インタビューにてカオナシについて聞かれた際「カオナシのような人は、現実の世界にもたくさんいる」と語り、カオナシを人間の「欲望の象徴」として捉えられているようです。
監督によれば、カオナシの顔が無いという点は、彼が自分自身を持たない、つまりアイデンティティが確立されていないことを示しています。
また、カオナシは「他者の存在に依存することで自分を確立しようとするが、それがうまくいかず、結局暴走してしまう」とも述べられています。
カオナシは、現代社会で自分の立ち位置がわからず、他人の期待に応えようとするが、最終的にその欲望に振り回される人々の姿を象徴していると言えるでしょう。
宮崎監督は、カオナシが「自己を見失った現代人」を描いているとも指摘されています。
カオナシが金銭や物質に執着する姿は、現代の消費社会を批判する意味合いが込められているようで、カオナシは、物を求めすぎて暴走してしまいますが、最終的に自己を取り戻すことができるのです。
この過程は、現代社会の問題を象徴するだけでなく、自己回復や人間関係の大切さを教えているとも言えそうです。
カオナシが千を欲しがる理由は?
『千と千尋の神隠し』に登場するカオナシは、物語の中で千を強く欲しがるシーンが描かれています。
「千欲しい…千欲しい~。」と、カオナシが千を欲しがる理由について考察しました。
カオナシは、無個性の生き物だから!
カオナシが出演するシーンを振り返ると、当初カオナシが何を求めているのか不明で、千に対して興味を持っているような様子も見受けられませんでした。
しかし、物語が進むにつれて、カオナシは千に依存し、接近していくようになっていきます。
カオナシが千を欲しがる理由は、「孤独」や「アイデンティティの欠如」などがありそうです。
カオナシは、物語の初めから終わりにかけて、自分自身を見失い、他者との関係を求める存在として描かれています。
顔を持たないカオナシは、自己のアイデンティティが確立されていないことを象徴しており、「顔がない」ことで、他者から一切認識されていない孤独な存在です。
千と出会ったカオナシは、千に依存するようになります。
カオナシにとっては、千が自分の存在を認めてくれる唯一の存在だと感じているようです。
カオナシが千尋を欲しがる背景には、自分を認識してくれる存在を求める「孤独感」と、「自己を確立したい」という強い願望があるように見受けられます。
自分の欲望をお金で満たしたいから!
カオナシは、物語の中でお金を撒き散らすことで千の関心を引こうとします。
カオナシがお金を撒く行動には、物質的なものに対する欲望がありそうですし、その行動がどんどん暴走していくようにも感じます。
カオナシは自分の欲望を制御できなくなり、暴走したように、お金を振りまき、興味を買おうとしているようです。
こうしたカオナシのお金の散在の仕方や暴力的な金銭感覚は、現代社会の消費主義や物質主義を象徴していると言われています。
カオナシはお金を与えることで周りの人間の興味を引き、自己満足に浸ろうとします。
千の心もお金で興味を引こうとするような背景も物語に描かれているようです。
千の強さや優しさに引かれたから!
カオナシが千を欲しがる理由には、千が持つ「強さ」や「優しさ」も関係しているようです。
千は、物語の中で非常に強い意志を持ち、困難な状況にも諦めずに立ち向かう人物です。
また、千は他の登場人物から好かれているため、カオナシにとって千は「強さ」や「自分にないもの」を持っている魅力的な存在に映っています。
カオナシは、最初は千に対して特に危害を加えることなく、見守っていたものの、次第に千に対して強く依存し、執着するようになります。
カオナシは、千が持つ「強さ」や「優しさ」を自分のものにしようとし、千を欲しがり、さらにその欲望を満たすためにどんどん暴走していったといえそうです。